阪神・淡路大震災

1995年1月17日午前5時46分

2012年1月17日で丸17年

この写真はtomatoさんにいただきました。
「地震雲の前兆現象」という本からコピーされたそうです。

私はこの写真をtomatoさんのHPで見たときは
大きなショックを受けました。

写っている明石海峡大橋の近くに住んでいました。
こんなところに阪神大震災の前に巨大な地震雲が
出ていたなんて・・・

これは竜巻雲と言われるものですが、大震災の前には
地震雲というものはほとんど知られていませんでした。

あのときにこのような情報を取り入れられる環境だったら
あんなに大パニックは起こらなかったかもしれない・・・

電池が飛んであの瞬間から止まったままの時計→

神戸の街が壊滅的な被害を受けた阪神・淡路大震災。
6434人のかけがえのない命を奪った大震災。

まだ世間が活動をはじめる前の真っ暗な時間でした。
突然ドーンというものすごい音とともに街中が揺れました。
「カミナリ?爆発?」何もわからないまま逃げ惑う。

縦揺れと横揺れが一緒になってめちゃめちゃに揺れる。家がジェットコースターになったような感覚。

その中でとっさに子供達を助けるために走った。
エレクトーンが倒れる。テレビが落ちてきた。ガラスケースの人形が次々落ちた。

子供部屋を開け「どこにいるのー!?」「ここ〜」あぁよかった。2人とも布団にくるまっていた。子供部屋の棚の上から物が飛んでくる。二段ベッドが跳ねている。

15秒か20秒が30分にも1時間にも思えた。
揺れがおさまって初めて恐怖に襲われ舌が麻痺して話せなかった。

それから街中の電気が消えて真っ暗闇になった。
私たちはラジオを聴くために車の中に入った。ニュース速報が流れた「震度4」。震度4のはずはない・・・

みんな次々外へ出てきた。
玄関ドアがゆがんで開かないため窓から出てくる人、車が当たってガレージが開かない人、ショックで吐く人、ペットの犬は逃げ出しみんなパニック。

私が住んでた所は、被害は少ないほうでした。
それでも震災の起きた家の周りは、いつもの風景とガラッと変わっていて、道路が割れ、水道管が割れて水が噴出し、ガスがもれてにおいがしていました。

大阪に避難しましたが、神戸の家にも時々帰らなければいけないので、夜中に大阪を出て8時間もかけて車で帰ったのです(普段は1時間ちょっとで行ける)

神戸は信号も街灯もなく、だんだん気持ちも暗くなっていくのでした。
水も出ないのでトイレも借りることができません。神戸に帰る日は午後から水分を取らないようにするのも大変でした。

しばらくして神戸に帰ってきてからも、水・ガスが通っていなく、
給水車を待って毎日水運びをするのが日課になりましたがお風呂には入れません。
お風呂屋さんに行って何時間も並んで、やっとぬるくて汚れているお風呂にみじかい時間だけ入れるのです。でも、入れるというだけで幸せでした。

水やガスの有難さが身にしみてわかりました。

この恐怖は東京へ来てからも消えません。
時々ある小さな地震にも「だんだん大きな地震になるんではないだろうか」という気持ちでパニックになってしまいます。

何ヶ月間服を着て、枕元にくつを置いて寝ただろう。夜になると震災に遭った部屋へ行くのが怖かった。夜が来るのが怖かった。

ずっと忘れることはできないと思います。命の大切さ・日常使っているものへの感謝・人の温かさを感じることができ、勉強になりました。

今思うと、この時期ってこんなに寒かったんだ・・・
あの年は寒さを感じる余裕もないほど必死な毎日だった。

 
「2005.1.17震災後丸10年で思うこと」10年経った感想を書いてみました

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